2011 東日本大震災について

遅くなりましたが、今回の大震災で亡くなられた方々、また、多くの被災をされた方々に深く哀悼の意を表します。

 

今回の震災は数多くの想定を越えた状態が発生しました。

 

ただ想定とは「広辞苑」にもある様に - ある一定の状況や条件を仮に思い描くこと - であり、人間の方が自然に対し一方的にそうであってほしいと想い描いた結果かもしれません。

 

もともと人類の祖先はDNA解析などでは、約20万年前に、アフリカの地に出現し、一部は現在のメソポタミア付近に移動し、さらにいくつかの方面に分散していったことになっています。(有力説では)

 

父をはじめ、少なくとも私の頭の中に記憶として存在している戦後の多くの日本人は勤勉でした。岩手県や宮城県の三陸地方は5年、長くても10年経てばかなり復興すると信じています。
しかし放射能(線源としてはα、β、γ、X、中性子線などを含みます。)は恐らくそう簡単には行かないと思います。
皮肉にもIAEAの調査団はたった1~2週間の滞在で、あっさりと、今年の福島第1原発の原因の1つは津波に対する想定の甘さだったと結論づけました。
原発の建設には多くの資金が必要です。さらに現地の市町村や県には莫大なお金が流れます。安全と必要経費。様々な紆余曲折があったにせよ、この妥協点で出来たのが今回の「想定」だったのでしょう。

 

過去50年間、日本政府はこの方針を一環して取って来ました。最近、毎日新聞に掲載された記事の一つを引用します。

 

みんなの広場

この非常事態に党利党略とは

僧侶 森田 良恒60(和歌山県紀の川市)

東日本大震災の対応について菅直人首相が非難の的になっている。自民党は与党が要請している復興実施本部への参加を拒否した。 しかし、原発事故対応への批判一辺倒の態度には首をかしげる。自民党は過去40年以上、原子力専門識者の唱える「安全」を追認し、原子力発電所の建設を推進してきたことを忘れてはならない。
6年を迎えたJR福知山線脱線事故は歴代3社長が「安全を優先していなかった」として強制起訴された。 原発事故に関しても、自民党は「歴代政府としての責任」を負うべきであり、むしろ先頭に立って対応すべきではないだろうか。
ましてや地震、津波、原発事故、放射能汚染と極めて困難な対応が求められる非常事態だ。そんな時に党利党略とは誠に見苦しい。 そしてそういうことを指摘せずに、菅首相の後任は誰がふさわしいかなどと論じているマスメディアを被災者はどんな思いで見ているだろうか。メディアもよく考えてもらいたい。

(毎日新聞掲載 みんなの広場 より)

 

さて、当院は昨年は私自身が腰の手術(2010年1月28日)後、体調を崩し、約3か月の休診を余儀なくされました。
多くのスタッフがその間、及びその後をカバーしてくれた結果、法人として200~300万円の赤字で済みました。
今年度はそれぞれのスタッフ及び多くの患者の皆さんのおかげで前年度の赤字分位の黒字予想されました。それで、今年度の黒字のほぼすべてと考える250万円を災害義援金として寄附しました。ただ、日赤を通しての寄附では、遅くなる可能性があるので、災害地の県庁に電話をして、各市町の電話番号を聞き、直接各市に電話をして、各市の希望する方法で(最終的には50万円ずつ5か所に手書きの銀行振り込みとなりました。)送金しました。さらに向こう5年間は、医院が黒字である限り、自分の税金の一部をふるさと納税として使い、さらに医院の寄附と合計し100万円を復興資金として寄附する予定です。

 

「もしドラ」で有名になったP.F.ドラッカーの「マネージメント」では - 会社や組織の存在対象は社会や人間がその中心にある - と考えられる一節があります。今回の行為は、その責任の一つを社会に還元出来たのではないかと思っています。
(平成23年6月19日の父の日に)

定期休診日の設定について

平成天皇誕生日 毎年12月23日

先の大戦の終焉より70年余、日本では大きな戦争はありませんでした。
平成の30年は、その流れとして一つの時代をくくりました。
当時の政権により阻まれた昭和天皇の成し得なかった、先の大戦への謝辞や国内外への幾多もの旧戦地、自然災害地への慰問など、昭和天皇に代わり、平成の日本の平和の象徴として静かにそして力強く努力され行動されたことに対し大いなる尊敬をこめて深謝を行ないたいと思います。

令和元年(平成31年)9月23日 秋分の日
医療法人 みよし内科・消化器科
理事長・院長 三好雅美

受付時間
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休診日:水曜日・土曜日・日曜日・祝日